2020年11月17日火曜日

開催案内(2021年2月10日):第3回臨床哲学フォーラム「書くことと、考えること、行動すること」

 媒体が様々にある今日ですが、書くことと考えや行動、また書くこととフェミニストであることなどは、どのように結びつきうるものでしょうか。ご活動と共に言葉を綴ることを続けてこられた栗田隆子さんのお話を伺い、参加者どうしで対話することをとおして、わたしたちが暮らしや研究のなかで行っている・これから行える「書くこと」について考えてみたいと思います。


3回臨床哲学フォーラム「書くことと、考えること、行動すること」

主催:大阪大学文学研究科臨床哲学研究室

日時:2021210日(水)14:00-16:00

場所:オンライン(Zoom※URLはお申込みの方にお知らせします

定員:30名、無料、要事前申込み 

申込先:大阪大学文学研究科臨床哲学研究室 rinsho@let.osaka-u.ac.jp 【〆切:23日】

「①お名前・Zoom上のお名前、②ご連絡先、③事前勉強会へのご参加希望の有無」をお知らせください。

※ご参加に関して確かめたいことやご要望のある場合、いつでもお声かけください。

※お返事には、数日いただく場合がございます。

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関連オンライン(Zoom)勉強会「栗田さんの多様な書き物にふれる」

A. 2021/1/13 () 16:50-18:20 読みたい文献を探してみる

B. 2021/1/20 () 16:50-18:20 読んだことを共有してみる

※勉強会に参加されなくとも、第3回臨床哲学フォーラムにご参加いただけます。

※第3回臨床哲学フォーラムに参加されなくとも、勉強会にご参加いただけます。

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2020年10月20日火曜日

開催案内(2020年11月14日)第2回 臨床哲学フォーラム(規範の外の生と知恵)

第2回 臨床哲学フォーラム(規範の外の生と知恵)
テーマ:BDSMをめぐる生の営み――ケアとは何か?――
主催:大阪大学倫理学・臨床哲学研究室
日時:2020年11月14日(土)13:00-17:00 (開場:12:45) 
場所:大阪大学豊中キャンパス&Zoom (大阪大学豊中キャンパスの定員は15名)
   ※定員に達したため会場参加の受付を終了いたしました
   (Zoom参加のみ受け付けております)

◆BDSMは、Bondage & Discipline:拘束・調教、Domination & Submission:支配・服従、Sadism & Masochism:加虐・被虐の複合語である。拘束・支配・加虐は「暴力」であり、行使すべきではないものとして、調教・服従・被虐は権利を侵害するものであり、退けなければならないものとして、一律に見なされてきた傾向にある。また、BDSMの文脈で語られることは、自らとは別の世界で展開されていることだと切り離して考えているような姿勢も見受けられる。このイベントは、ここで「前提」とされているものを、多様なあり方を見せるBDSMという営みや、さまざまなSM実践者の語りや知恵から問い直すことを目的とする。


【プログラム】
13:00-13:10 企画趣旨説明・発表・講演者紹介
〈発表 :発表20分、質疑10分〉
13:10-13:40  発表者1:小西真理子(大阪大学)「女性サディストの技術とフェミニストなマゾヒスト――BDSMの視点をつうじた「ケア」の再考」
13:40-14:10  発表者2:ほんまなほ(大阪大学)「 女装フォビア、性的指向、ジェンダー・アイディンティティ 」
14:10-14:40  発表者3:河原梓水(福岡女子大学)「日本の商業BDSMと「真のSM」の追求」

14:40~15:00 休憩

〈講演会〉
15:00-16:00 講演者: 観菜月らみぃ女王様「私とSM」
16:00-16:30 講演者&発表者のクロストーク
16:30-17:00 会場からの質問

◆イベント参加は事前予約制です。大阪大学の会場での参加は先着順ですので、参加希望の方はお早めにご連絡いただけますと幸いです。会場参加者は、マスクやフェイスシールドをご着用ください。また、会場参加を希望された方でも、当日、発熱や咳があったり、体調がすぐれなかったりする方は、ご来場をお控えいただきますようお願いいたします。

※会場参加希望のご連絡をいただいた後に、事前希望者の数によってはZoom参加への変更をお願いする場合もあります。そのようになった場合、大変申し訳ございませんがご了承いただけますと幸いです(会場参加希望者で、Zoomの場合だと参加を希望しない方は、その旨もご連絡いただけますと幸いです)。

◆新型コロナウイルスの影響の関係で、大学の判断によっては、会場開催が不可になる可能性があります。

◆参加希望の方は、①お名前、②ご連絡先(メール)、③所属/立場などを明記したうえで、大阪大学倫理学・臨床哲学研究室(rinsho@let.osaka-u.ac.jp)と小西(mariko.konishi@let.osaka-u.ac.jp)にご一報ください。開催場所の詳細やZoom情報を、別途連絡します。
 ※Zoom参加希望の方のみ受付中です(受付締切:11月12日(木)AM10:00)

◆当事者、学生、専門家、研究者など参加者の立場は問いません。

◆このイベントでは、強烈な性表現が予測されます。各自のご判断でご参加ください。講演で直接表現が難しいと主催者が判断したものに関して、任意で別紙参照をお願いする可能性もあります。



2020年8月19日水曜日

開催案内(2020年9月6日):日本哲学プラクティス学会大会(オンライン縮小版)

本年9月6日に、大阪大学で開催予定であった日本哲学プラクティス学会大会は、オンラインにて縮小版をおこない、来年度に本大会を延期することになりました。
オンライン・シンポジウムを下記の通り同日14時から開催いたします。
シンポジウムのみの参加もできますので、みなさま、どうぞご参加ください。
(ほんま なほ)

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JSPP事務局から今年度の大会についてのお知らせ

2020年9月6日(日)に大阪大学豊中キャンパスで第二回大会を開催する予定でしたが、新型コロナウィルスの影響により、シンポジウムと総会を主とする内容に縮小したうえで、オンライン開催へと変更となりました。個人研究発表とワークショップの公募は、本年度は行いません。
2021年に、公募による個人研究発表やワークショップを含めた大会を、あらためて大阪大学で開催する予定です。

縮小版 第二回大会

日時:2020年9月6日(日)
場所:Zoom(総会、シンポジウム)
参加費:常勤職の方2,500円、非常勤職・学生の方1,500円

* シンポジウムのZoom URLはお申し込みの完了時にお知らせします。参加費の支払いを含む申し込みにはPeatixというサービスを利用します。下記URLから行ってください。

* 総会のZoom URLは大会前に賛同人の方々に一斉通知します。ただし、申し込みを済ませていない場合、参加いただくことはできません。

13:00- 総会(賛同人のみ)会場(Zoom入室開始)
13:15-13:45 総会(賛同人のみ)

14:00- シンポジウム会場(Zoom入室開始)
14:15-17:15 シンポジウム「哲学プラクティスとコミュニティ創生」

 
シンポジウム「哲学プラクティスとコミュニティ創生」

登壇者
孫 大輔(日野病院組合日野病院、鳥取大学医学部 地域医療学講座)
豊田 光世(新潟大学)
西村 高宏(福井大学)

司会
高橋 綾(大阪大学)

教育現場での対話実践であるこどものための哲学にとっての重要な要素は、教室を「探求のコミュニティ」に変えることであると言われていることからもわかるように、哲学プラクティスの核となる哲学対話には、あるテーマについて話し合う、考えるだけでなく、対話を通じて何かについて共に探求し取り組む仲間、コミュニティを生み出すという要素が含まれています。

地域に根ざした対話や哲学対話を行う実践者の中には、その活動を通じて、地域コミュニティや当事者コミュニティの結びつきを生み出し、地域保健、環境保全、災害からの復興等のさまざまな地域の活動に意欲的に取り組む仲間を生み出すことを視野にいれ対話を行なっている人もいます。

対話や哲学対話が、あるコミュニティの人々のつながりを生み出し、そのコミュニティを活性化させるには、どのような工夫が必要なのでしょうか。また、それぞれの地域コミュニティや、当事者コミュニティの特徴や文化を踏まえて、そのコミュニティに根ざした哲学対話の活動を作っていくにはどのような知恵が必要なのでしょうか。

今回のシンポジウムでは、地域保健・医療の観点から医療者と市民を巻き込んだ対話活動を行なっている孫大輔さん、佐渡島での環境保全活動に向けての話し合いに哲学対話の考え方を導入している豊田光世さん、東日本大震災後の仙台や東北地域で、哲学カフェをはじめとする対話活動に取り組んでこられた西村高宏さんをお招きし、さまざまな領域、地域で、対話や哲学対話を生かしたコミュニティ創生の試みについてお話を伺い、哲学プラクティスや哲学対話をコミュニティ創生につなげる可能性について考えます。 

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日本哲学プラクティス学会 事務局

2020年6月30日火曜日

イベント案内(2020年7月5日):≪第3回≫<ケア>を考える会(京都・岡山)合同オンライン会

≪第3回≫〈ケア〉を考える会(京都・岡山)合同オンライン会を開催します。

※ 京都の〈ケア〉を考える会で、『共依存の倫理』が、その最終段階のところで「コロナ禍」で中断していました。今回、オンラインでその続きを行うことになりました。(山添さん夫妻の美味しい料理がないのは寂しいですが)。
※ また、岡山・京都合同で行うこともあり、「共依存」について、今までの内容を振り返ります。そのうえで、この本のまとめの会になればと思っています。
※ 本の著者である小西真理子さん(大阪大学講師・臨床哲学)を囲むような形で会を進めていきます。



日時:2020年7月5日(日)15時から90分程度(Zoom 1445分ごろから開きます。Zoom情報はお問い合わせ下さい。)
会場:それぞれの自宅や
テキスト:『共依存の倫理』小西真理子著、晃洋書房
 序章・第1章からのふりかえり ~ 第6章「共依存の回復論」の「2 回復論の倫理観」 ~終章、あとがき

▼会が終わって、30分ほど休憩の後、二次会「オンライン懇親会」を開きます。
二次会だけの参加も歓迎です。
17時頃から開始します。
飲み物、食べ物、各自でご用意の上、ご参加ください。
途中参加、途中退室など、自由です。
IDとパスワードは上記と同じです。
※ どなたでも参加できます。会費無料。

▼問い合わせ・連絡先:林道

2020年3月2日月曜日

連載記事 教員対談 臨床哲学をあらためて問う 2

はじめに


1995年に倫理学研究者を中心に「臨床哲学」が提唱され、1998年には大阪大学大学院に「臨床哲学」が誕生しました。それから20年以上が経過し、激動の大学改革のなかで、研究分野としての「臨床哲学」のミッションがあらためて問われる時期にきています。これに関連して、これから数回に渡って教員による対談を発信していきます。

◆臨床哲学研究室・教員対談
第2回臨床哲学研究室教員対談(2019926日(木)堀江研究室にて)
対談者:堀江 剛・小西真理子
聞き手・編集:ほんま なほ

規範を外れる生と向きあう 

ほんま:臨床哲学をめぐる対談シリーズの第二回目ということで、引き続き、堀江さんと小西さんにお話を伺いたいと思います。前回は、研究と現場をどう結び付けるかというところのお話を聞きましたが、今回は具体的にどのように現場に関わって、どんなことを見てどんなことを考えたかということを話してもらえますか。小西さんは夏休みにドイツのベルリンに行かれたのですよね。

小西:はい、私がベルリンに行ったのは、BDSMの調査をするためでした。私が研究する共依存の問題を考えるにあたって、支配と服従にかんして「別の語り」を提示するBDSMは避けることのできないテーマです。今回はベルリンでBDSM研究をしている友人の日本帰国が迫っていたこともあり、ベルリンで本格的な調査ができるのはこの機会しかないと思って行ってきました。
(※BDSM: B&DBondage & Discipline:拘束と調教)、D&SDomination & Submission:支配と服従)、S&MSadism & Masochism:加虐症と被虐症)との複合語)

ほんま: 共依存研究がBDSMとどのようにつながっているのですか。

小西:共依存が語られるとき、避けて通れないのが支配や暴力をめぐる問題です。支配や暴力にかんしては、「こういう暴力は正しい暴力だ」ということはほとんど語られないと思います。しかし、BDSMの現場を訪れると、いかに暴力的・支配的な状況を生み出すか、他者を無力(helpless)な状態にするかということに価値が見出されていることが分かります。その価値を徹底的に追及することによって具現化された光景が、私の目の前に広がっていました。

ほんま:おっしゃっているのは、たとえば暴力はいけないとか、支配がとにかく悪だっていう規範があるけれど、その現場では、支配や暴力というものが、おそらくそういうふうに語られる枠組みとは全然違う仕方でなされている実践があって、そこに何か研究のヒントがあるのではないかということでしょうか。

小西:私も暴力や支配って聞くと、即座に拒否反応が出る傾向にあります。でも、BDSMについて語る友人の話を聴いていると、そこにいる人たちが、私が見えているのものとは全然違う世界に生きていることが徐々に伝わってくるようになったんです。加えて、共依存の問題でも、BDSMとつながっているとしか思えないような事態があって、共依存を論じるにあたってBDSMがないもののように語るのは大変不誠実だと考えるようにもなりました。

ほんま:このテーマにかんしてはこれから切り開いていかれるということだと思いますが、それは本を読んで考えるだけでは難しいんでしょうか。

小西:今回、ベルリンで調査する直前にも、BDSMに関する論文をいくつか読んだんですけれど、調査直後に同じ論文をもう一度読むと、そこから見えてくるものというか、伝わってくるものの臨場感がまったく異なるものになっていました。いろんな人が話していたことや、現場で見たことと文章がリンクするし、場合によっては両者の差異も明らかになります。今回お話しをうかがったSMスタジオの女王様は、SMを知って、それをとことん追求できる場所を作るという夢をもって、看護師という職から転職してまで夢を実現した方でした。創設者の一人の方とスタジオをめぐることで、こういう考えを持った人が作り上げた場所がこういう場所なんだっていうこともすごく伝わってきました。その場所は、彼女たちの思想が体現されている場所だったんです。

ほんま:小西さんが考えているのは、世の中で浸透している慣習的な倫理だけではなく、それから逸れている人たちのなかにもある種の倫理があるということだと思いますが、両者の関係はどうなっていますか。

小西:両者は違うものだと思いますが、一部重なっていますね。たとえばBDSMにおいて、慣習的な世界では暴力や支配はダメ、BDSMの世界ではそれが肯定的に捉えられるという点においては違います。しかし、BDSMの世界では、プレイする上での合意形成がとても重要なものであると語られます。場合によっては危険をともなうようなものもあって、それをいかに技術や感性、環境を整備することで安全に行うかということが詳細に検討されています。あと、否定語が言葉通りの意味をなさないので、危険や嫌悪を感じたときにプレイを中断するためのセイフワードがもうけられています。これらの試みにはかなり「正常」な規範が働いていると思います。でも、BDSM実践者のなかには、そういうものにおさまらない人たちもいて、そういう人たちは、実践者のなかでもより「異常」な領域を形成していくわけです。今回私がおとずれたスタジオは、すごく暴力的で支配的な場所だったけれど、そういった意味では「正常」さを体現した場所でもありました。

ほんま:意地悪な質問をすると、単にSMおもしろそうとかいう興味本位で研究者が出かけることと、そうではない研究とどう違うと思いますか。

小西:そこはすごく難しいところです。私みたいなSMクラブで働いた経験があるわけでもない人が突然訪れることを嫌がる人は多いと思います。実際に、博士論文を書いていた2013年にはこのテーマに興味を持っていたけれど、当時その場所に研究者として行くことにはとても抵抗がありました。そこから数年が経過して、問題について考えるなかで、一般的なSMに対する偏見というものがよく分からなくなってきたと感じるようになったとき、条件付きにはなるけれど、現場を訪ねてもいいかなと思うようになりました。ただ、これはすごく私の主観に依拠することなので難しいですね。今回は実践者の方や現場とのつながりをすでにもっている友人に同行してもらっていたことがとても大きかったです。インタビューするにあたっては自分の立場は明確に相手に伝えるべきだし、インタビュー最中に不快感をもたれていないかということは常に気を配らないといけないし、自分がそこにお邪魔させてもらっているという意識を手放してはいけないし、インタビュー前やインタビューの短時間において少しでも関係性を形成するということをすごく意識します。でも、それは最低限のことのように思います。

ほんま:臨床というと「苦しみの場所」とどうかかわるかというようなことが議論されてきたわけです。でも、今までの話を聞いていると、そういうお助けイメージではなくて、ひとつは「このことを考えざるを得なくなった」みたいな思考の必然みたいなものがあるということ、もうひとつは、別にSM愛好者を評価してあげたいとか、この人たちを社会から排除するものをなんとかしようとか、そういうところが動機になっていないところがおもしろいなと思いました。それをあえて臨床というものと結びつけるとしたら、それはどういうアプローチなんでしょうか。

小西:かわいそうな人を私が助けてあげるみたいな動機に対しては、できるだけ距離を置きたいと思っているんですけれど、人を助けたいっていう気持ちがまったくないわけではなくて、むしろ強くなるようなこともあります。それはきっと「こういう生き方ってないよね」みたいな発言を聞いたときにそういう気持ちになるんだと思います。規範と外れる生というものがあるとしたら、そこにはそこの規範や倫理があるのに、それを抹殺しようとしたり、攻撃したりするような言動に対しては、何かしたいという気持ちになります。


病院での看護を通して仕事を考える

ほんま:続いて堀江さんにお伺いしたいのですが、堀江さんにとって臨床的な場所ってどういうところですか。

堀江:これも偶然からですけれど、医療関係の特に病院という場所で仕事をしている様々な人と議論したり、一緒に考えたりする機会が多かったので、臨床といえば、いわゆる医療の現場が想定されています。でも、お医者さんとはあまり付き合いがなくて、看護師さんが多いです。病院の中のいろんな問題を考えるっていうのが、さしあたって僕にとっての「臨床」です。ただし、ここで僕自身が大学院生になる前にサラリーマンを経験したというのが大きくて、どこかの組織で仕事をしているということを「臨床」だと受け取っているのだと思います。

ほんま:それがたまたま看護職だったということですか。

堀江:そうです。臨床哲学研究室に私が大学院生として入ったときに、本当にたまたま看護師さんが多くて、そういう人たちと話し合う、聴く、自分の考えを述べるということを繰り返したなかで、考えることが多かったということです。私は「仕事」という視点で、看護師の人たちが考えていることに反応して刺激を受けているのだと思います。たとえば、ある看護師さんが日々の病棟の看護で何を考えてやっているかという話になったとき、基本的にはいかに時間を管理して多くの患者さんへのケアや、その他にもやらなければならないことをやっているのか、どうやって上手く患者さんとの話をきり上げて次の仕事にいくかっていうのを考えながら仕事しています。これは看護の仕事という意味で、病院でたくさんの人をケアしているなかで、もっとも重要な発想なんだろうなと思いました。同時にだからといって、その看護師さんはすごくドライに患者さんを処理するように対応しているわけではなく、自分のモチベーションや自分の看護観っていうものを、日々の仕事の中でやっていきたいという価値観も持っています。それを実際とどう折り合いをつけて自分で組み立てているのかということ、この全体が看護という仕事なんだなと思いました。そこをいっしょに考えて、こんなふうにも考えることができるんじゃないかとか、こういう視点で見たら看護の仕事として哲学とつながるんじゃないのか、といった話ができるように思えて、楽しかったですね。

ほんま:それは看護研究だったら論文とかに結実するんですけれど、堀江さんのそういう関わりっていうものは誰にどういうものを与えるんですか。

堀江:単純なことは言えないんですが、多面的にはいろんなことができると感じます。ひとつは、その看護師さんたちといっしょに論文や実践報告を書いて研究成果として発表することができると思います。でも、それだけではなくて、実際に研修に僕が関わってお互いにアイディアを出し合う場を作ったことによって、少なくてもこれまでの看護の研修とか、何かスキルを磨くだけのものとは違う視点を得たという感想を聞くと嬉しいなと思います。その他には、患者さんやその家族も含めて、お互いに違う人たちをまぜて対話する場所を私が研究者として作ると、それぞれの立場からの新しい視点やヒントが見つかるというのがあります。

ほんま:私も精神科看護やがんの緩和ケアとかに関わっていて、私の場合は、どちらかというと患者さんと間接的に関わっているような感じがします。でも、堀江さんの話を聞いていると全然そうじゃなくって、病気とかではなくて看護師の働きというところに関与しようとしているところがおもしろかったんですけれど、それってどういう関心なんですか。患者さんが誰かということとは独立して、病院の働きというところを見ているんですか。

堀江:やはりサラリーマンの経験が大きいですね。大学を卒業して「仕事をする」ってどういうことなんだろうっていうのがあって、メーカーに入って働いたということが、僕の臨床哲学の原体験なのかもしれないです。僕自身はそれをサラリーマンやりながらはできませんでした。だから、臨床哲学に入って仕事の臨床っていうのをずっと考えていたんだと思います。

ほんま:堀江さんはもともとスピノザをやっていたわけですよね。今の話を聞いていても、全然善悪とは関係ないっていうところがおもしろいなって思いました。善悪とは関係ない、仕事という現場での人のやりくりしている生きざまに関心をもたれていると思うんですけど、善悪がないっていうことをポジティブに言いかえるとしたらそれはどういうふうになりますか。

堀江:僕が倫理学を考えるうえで、自分のなかでこれかなって思うのは、善悪は別にしてやらなければならないことがある、ということです。善悪は別にして、例えばマルクスが考えるように、こんな経済的な必然性が社会のなかには貫徹しているんだとか。要するに、現実的な社会関係の中で私たちが活動せざるをえないような場面があって、倫理というものはその上に乗っかっているだけのようなものだという信念があるような気がします。組織を考えると、実は組織のなかにある目標とか価値によって組織が動くっていうのはあるし、それに自ら人生そのものを投じるということもあります。だから善悪は必要ないっていうのではなく、何らかの形で善悪と別のところにある関係から、皮肉な形か積極的な形かで善悪というものが生じてくるのだと思っています。善悪というものがあるという立場からは距離を置いて考えたいです。

ほんま:今までご自身が働いてこられた延長線上に看護師さんたちの仕事があったんですね。自分の問題を、看護師さんを通して考えているんですか。

堀江:自分の問題かもしれません。学生とか若い時期にかけて、大学生のときに就職するか、大学院に進むかということとか、あるいは周りにいた左翼の活動家の友達とかと話していて、自分の活動が社会のなかで自分の選択としてどうできるんだろうかということを考えたときがありました。それ以来、自分は仕事をするけれど、仕事として割り切ってすると同時に、自分のやりたい趣味もする。そういう「切り分け」が仕事なのかって感じたのが最初なのかもしれません。それを誰もがやっているだろうということから、人は仕事ということで何を考え、他の人と関わりながら、他の人に合わせながら、他の人の命令に従いながら、何とか自分をやりくりしているというようなところを含めて、仕事と社会というものにずっと関心があったということです。

ほんま:最後にお二人に聞きたいのですが、お話しいただいたもののなかで、学生に伝授できるところがあるとしたら、何だと思いますか。

小西:まず、自分がそもそもなんでこんな問題を考えているんだろうっていう、自分のテーマと自分のつながりについては考えた方がいいと思います。当事者研究も含めて、研究全体のあらゆる当事者性と研究者自身が一致することはあり得ません。他者が単なる研究材料になりかねない危険と隣り合わせで、だからこそ、明記するかどうかは別にして、自分と他者たちとの関連性はしっかりと見なければならないと思います。もう一つは、何かを実行できる機会やチャンスというものは、いつでも存在するわけではないということです。今しかできないこともあるので、慎重さが求められると言ったことに対して逆説的なんですけれど、そういうときは、とにかく実行するということも重要だと思います。

ほんま:好きなだけ時間をかけれるわけではないということ、そして、たじろがないで現場に行くっていうことにすでに責任が伴うわけですね。それは人の生に関わるということなんだと思うんですけど、学問とか研究とかが人の生に関わるっていうのはどういうことなんだろうかってそこは私も考えたいところです。堀江さんはどうですか。

堀江:今の生に関わるというところでいえば、自分が考えたいなとか違和感があるなって思ったことは絶対手放すなということを学生には言いたいです。研究を続けようが、どこにいようが、自分がぜひこれははっきりさせたいなと思っていることは、2030年手放さないで自分の生に関わりながらやっていくのが、臨床哲学を考えることになるのではないでしょうか。長い目での自分の生き方とか考えたいことを手放さないことが、臨床と哲学を結ぶ一番の肝だろうと感じます。

ほんま:堀江さんも小西さんもそうでしたけれど、自分自身が一回社会に出て、大学院で勉強しなおすみたいなルートがこれからますます大事になってくると思うんですよね。堀江さんのようなお仕事っていうのは、社会人院生にとって長期的に必要なことなんでしょうね。ライフワークというか、その人の生に関わりつつ、それを考え続けるという機会を臨床哲学は提供してくれるかもしれないということですね。

堀江:ぜひ提供したいですね。

付記

諸事情により、この対談のブログ掲載がたいへん遅れてしまいました。
臨床哲学教員による対談は、今回の掲載をもって、一旦終了とします。

2020年1月21日火曜日

【中止】開催案内(2020年3月13日):臨床哲学セミナー「書くことと、考えること、行動すること」

※予定しておりました下記セミナーは、中止となりました。
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 来る3月13日に、臨床哲学セミナーとして、『ぼそぼそ声のフェミニズム』を上梓された栗田隆子さんをお招きし、「書くことと、考えること、行動すること」について考える会が開かれます。
 ご参加をご希望の方は、下記のメールアドレスに「参加希望の旨」と「参加される方のお名前」をお知らせ下さい。


臨床哲学セミナー「書くことと、考えること、行動すること」
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講師:栗田隆子さん
2020.3.13(金)14:00-16:30
@すてっぷ視聴覚室
要申込、定員30名
申込先:rinsho*let.osaka-u.ac.jp(*を@に変えて送信してください)
主催:大阪大学文学部臨床哲学研究室



2020年1月16日木曜日

イベント案内(2020年1月19日):<ケア>を考える会

イベント案内:<ケア>を考える会 (第127回)
日時:2020年1月19日(日)13:30-17:30
場所:京都市山科 山科駅より徒歩3-4分の民家(山添宅)(安朱保育園 東隣)


内容:
(1)読書対話
小西真理子著『共依存の倫理』(晃洋書房)
第6章「共依存の回復論」第1節(P.210239
発表・解説・コメント 小西真理子 さん (大阪大学・臨床哲学・講師)
(2)懇親会‥‥食べながら飲みながら語り合います(持ち込み歓迎)

会費:懇親会参加者のみ1000円。
どなたでも参加できます(初参加歓迎)。先着20名程度。
問い合わせ等:林道也まで:michi-care*outlook.jp (*を@に変更してください)
090-5366-1497

 今回のポイント
「共依存」は、他者との間で依存支配服従の関係が存在し、本人の「自己」が損なわれている状態である。とすれば「自己」の回復が図られなければならない。ところが、そんな簡単な問題ではない。人は他者に「依存」しなければ生きていけない存在なのだ。では、「自己」の実現と「依存」をどう考えるか。そこに「再帰性」という概念が関わってくる。さらに、「自己」をこえて、ある方向に導いていこうとするものが在るようだ。あぁ 難しい。でも、なにかワクワクする。これぞ、〈ケア〉を考える会だ。著者の小西さんが居てくれるのが頼もしく、うれしい。