2021年8月10日火曜日

開催案内(2021年10月1日)日本倫理学会・ワークショップ

第72回日本倫理学会

ワークショップ: 〈応用〉することの倫理 ――緊縛シンポ、ブルーフィルム、ジェンダー

日時:10月1日(金)18:00~20:00 ※オンライン開催


日本の哲学・倫理学分野では、1980年代に森岡正博が、著明な哲学者の権威的な文献の解釈や既存の概念の解説のみを行う哲学・論文を「おける哲学・論文」と名指したことを筆頭に、その文献解釈偏重傾向や輸入代理店的傾向が批判されてきた。それから40年近くを経た現在、日本倫理学会を含む業界の中心地で基軸となる動向が大きく変化したわけではないが、欧米圏からの応用倫理学の導入、臨床哲学の提唱、現象学的倫理学の試みなど、具体的問題をテーマとして論じたり、社会のなかで生じている問題にその現場からコミットしたりする哲学のあり方も少なからず見られるようになってきた。この流れのなか、21世紀最初の10年で、日本における応用哲学が産声を上げることになる。

『これが応用哲学だ!』(大隅書店、2012年)に記されているように、「哲学がこれまで論じてこなかった、その意味で哲学の『外部』にある具体的な問題を志向する」と宣言する応用哲学は、2008年の応用哲学会設立により周知され、その後も活発に取り組まれてきた。そこで応用哲学は、「『この現実についてのもの』でなければ、それは一種の虚構、パラレルワールドに関する単なる『物語』で終わってしまう」がゆえに、「何よりも『現実についての知』でなければならない」学問として説明されている。しかしながら、実際に応用哲学が行われる場面において、哲学は、多くの知を提供する権威をもった「ツール」や「リソース」として個々の問題に「適用」されがちであり、そこにおいて哲学(者)は、応用される事象や人びとよりも多くの「現実についての知」をすでにもっているかの如く振る舞い、そうした事象や人の生を哲学の問題を解くための格好の一事例として「利用」しがちである。そこでは、当該の事象や人びとから「学ぶ」ことが蔑ろにされており、ひいては偽りの言説を生産してしまうことも起こりうる。

哲学・倫理学に限らず、人の生とかかわるような研究がなされるとき、制度的な研究倫理に尽きない、研究をめぐる倫理についての慎重な考察が求められる。こうしたいわば「応用研究の倫理」については、臨床哲学を掲げた鷲田清一や中岡成文らによる、現場の哲学や〈応用〉することへの批判的検討、また、丸山徳次による水俣を対象とした応答倫理学の試みなど、先行する実践から多くの示唆が得られるはずだが、昨今、哲学を何らかの仕方で〈応用〉する者自身の手によって応用研究の倫理についての検討が公に行われているとは言い難い。

以上の問題関心から、本ワークショップでは、現代日本の哲学・倫理学分野における〈応用〉の事例をあげながら、そこで問われるべき倫理について検討する。第一に、奥田が、日本における応用倫理学・応用哲学の歴史をふり返り、〈応用〉の倫理的問題の概略を述べる。第二に、河原と小西が、緊縛を主題とした応用哲学的シンポジウムについて、そこで露わになった偽史の流布、マイノリティや当事者加害、事後対応の問題性について指摘することで、現在の応用哲学が抱える問題を可視化する。第三に、吉川が、一般社会のタブーと関わったり、当事者との関係が重視されたりするトピック(ブルーフィルムや水俣など)へのアプローチの経験を踏まえて、哲学の方法がかかえる困難や制約について報告する。以上の議論をつうじて、哲学・倫理学業界における〈応用〉することに生じる倫理問題について、参加者とともに我が事として考えたい。


司会:佐藤靜(大阪樟蔭女子大学)

提題1:「哲学分野における〈応用〉的試み初期の倫理問題を再訪する」奥田太郎(南山大学)

提題2:「緊縛シンポにおける偽史の流布」河原梓水(福岡女子大学)

提題3:「研究者による当事者加害の『その後』を考える」小西真理子(大阪大学)

提題4:「遠く離れて思考することの倫理」吉川孝(高知県立大学)


※参加には事前登録が必要です。第72回日本倫理学会大会HP(https://sites.google.com/view/jse2021taikai/)より参加受付を行ってください。非会員の方でも、ワークショップのみの参加の方は無料でご参加いただけます。


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